運命だったのだ。
 水が乾くように、月が欠けるように、花が枯れるように。
 それは寿命だったのだ。
 先代の路線を受け継ぎ、穏健派を通した10代目ドン・ボンゴレの統治は時間をかけて、けれど確実に浸透していった。血を流さない理念のためにたくさんの血が流れ、だが組織は確かに新しい方向へ舵を切っていった。過程で道を拓いたのはもちろん10代目旗下の主力たる武闘派たちだ。守護者は言うまでもなく、一度は刃を合わせた暗殺部隊の働きはそれはめざましいものだった。裏に表にと飛び回る彼らの尽力は次第に実を結び、混沌は秩序を帯びていく。
…けれど、それは線香花火の、末期のきらめきだったんだろうか。
 彼らが死力をつくし戦えば戦うほど彼ら自身の終末は近づいた。なぜって、平和の世に暗殺者は必要ないのだから。





 ホームの死期を悟ったヴァリアーの隊員たちは――――ことに幹部は、ふさわしい幕を引くべくそれぞれの死地へ発っていった。ある者は千人からの集団を相手に9割方を繊滅して。ある者は国の諜報組織の2つ3つを道連れに。ある者は空母をひとつ、沈めて。
 次席、スクアーロにあてがわれた舞台は中東某国の反乱鎮圧だった。上官であるザンザスは適当に判を押して指令書を引き渡し、受けとったスクアーロは上質紙をつまみあげて眉間にしわを寄せた。
「これ個人にやらせることかぁ?軍隊の仕事じゃねーのかよぉ」
「軍が介入すると批判を集める。…俺たちは生身だと思われてねぇんだろう」
「はっ、ずいぶん高ェ評価だな!ありがてーことだぁ」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよカスザメ」
「へーへー。そんじゃ、行ってくるぜ」
 それが二人の最後の会話だった。それっきりだった。…ああ、退出間際に一度だけ、キスをした。触れるだけのたわむれみたいなそれ。
 その日のうちにスクアーロは本部を出た。玄関から門まで歩いて車に乗りこむ間にも振り返らなかったし、ザンザスもその数日後には自分の任務に赴いたから、これが本当に今生の別れだ。





 だけどスクアーロは帰ってきた。
 人ひとりに可能であるのか、そもそも不明な任務だった。だというのにスクアーロはそれをこなしたのだ。虫も鳴かない濃い闇の中、血と月光を浴びてたたずむ銀色の姿を、兵士たちは土着の神に重ねて畏れたという。
 全身、傷のない部分はなく、疲労しきって、イタリアへは点滴の針を刺したまま到着した。それでも、帰ってきたのだ。





 今や名実共にマフィア界の雄、ボンゴレが守護者の一角である山本が病室を訪ねたのはスクアーロが本拠地へ帰りついた2日後のことだ。すっかり身にしみついたかけひきに誠意と懇願とほんの少しの脅しを混ぜて、友人兼上司から面会の許可をもぎとり、取るものもとりあえず駆けつけた。けれど開口一番のスクアーロの言葉は『俺はいつ死ねる』だったので山本はがっくりと肩を落とす。
「あのさあ…もうちょっと言うことないか?他に」
「他に。他に?何があるって?」
「ないかもしんねーけど…」
「どうせ俺ぁてめぇが殺すんだろ」
「…スクアーロ、」
「つーかてめー以外が殺ったら困るんじゃねぇの、ボンゴレがよ。戦争にさえ打ち勝った剣帝!箔付けにゃもってこいの華だろうが」
「だけど」
「まだるっこしいなァ御免なんだよバカ野郎。いいか一度で答えろよ、俺は、いつ、死ねる」
 山本は悲しく微笑み、微笑んだ唇の形のままつぶやいた。「あんたさえ動けるなら明日にだって」
 俺はいいけど医者の野郎がよぉ、口をとがらせるスクアーロを見下ろし、山本はもしも何かが違ったらと考える。出会いが。関係が。あるいは在り方が。だけど結局、山本も、スクアーロも、二人とも剣士でしかなかった。





 曖昧な灰色の空の、ひどく陰気な朝だった。
 剣士にしかなれなかった二人は示し合わせたようにぐるりと天を仰ぐ。雨が降ればいいのに、と山本は思った。所詮結末は変わることなどない、雨でも槍でも好きに降るがいい。スクアーロは鼻を鳴らしてばりばりと頭を掻いた。
「やな天気。そう思わない?」
「さあ、別に気にならねえ」
「…そう」
 山本はすらりと鞘を払う。「なんか、情けないな、俺。あんたとはそれなりに長いつきあいのはずなのにさ。結局、あんたのことは、何もわかんないのと同じだった…」
「…その構え」
 スクアーロはまだ左腕を身体の横にたらしたままだ。「見ねえ型だな」
「ああ、これ、これは新しい技なんだ。とっておきだぜ、使うのは今日がはじめてだ」
「へえ。光栄だなぁ。御披露目の相手なんざ」
「そうでもしなきゃ勝てないよ」
「は、どいつもこいつもえらく高く買ってくれてんなあ。まぁそうだな、刀小僧にゃまだまだ負ける気はしねぇな」
 スクアーロは屈託なく笑う。

「勝つ気もしねーがな」

…ああ。その言葉!それが必ず実現するものだと、二人にわからないはずがなかったのだ。二人は剣士でしかなかった、本質がそれだった。だけどそのかわり、二人はまぎれもなく剣士だった。二人は、二人とも、確かに。
 ひとつ刃が触れるたび、服を、髪を、肌をかすめるたび、山本のこころはいよいよ鋭くうなだれる。このまま彼に殺されてしまえたら――――そう、願わずにはいられなかった。たとえスクアーロ自身がそれを決して許さないとして、そのことを誰よりよく知っていたとしても。
(雨…雨が降ればいいんだ。何かは変わるだろう、そしたら…そうしたら………なのに血の雨とか洒落にもならないし)
 ぐったりと立ちつくし、やるせなさや何やかやをかみしめる。まったくこんなのは三文芝居だ。

「アリヴェデルチ、二代目剣帝。ヴァリアーに注ぐ鎮魂の雨。傲慢にして忠実なる銀の鮫。…スクアーロ」

 空は相変わらず曖昧な灰色で、得物の切っ先からしたたる血、足の裏でじわりと広がる血溜まりもすべて、曇天の下に臨めばまるでつくりものめいて舞台のよう。
 のどの奥、目と鼻の神経がぶつかるところにはりついたねばつく熱を吐き出し、さよなら、と、泣きたいのか笑いたいのかよくわからないままでささやいた。


「あなたのことがずっと好きでした」



















「…ああ、知ってたさ。残念ながら、な」







20080903