学校を出るといつのまにか雨が降っていた。やわらかくて静かな糸みたいな雨。 …雨戦だった、からなのかな。ツナが、ぽつんと、言う。雨戦。そういえば獄寺もディーノさんもあの赤ん坊も言ってたな。雨戦。雨のリング。雨の守護者。雨の。雨の… …考えがまとまらない。雨音が耳の底に積もっていって、神経をかすかに、けれど確かに逆撫でる。そういや剣はどこへやったんだっけ…?どこに置いてきた?ディーノさんの部下の人に渡したんだったか。…思い出せない…あてにならない記憶にイラつきがつのる。剣なんて物騒なものをどうしたか覚えてないなんて。あんな危ない、物騒な…血まみれの… …スクアーロの血にまみれた刃物を。 凶器を。 つまり俺は今日人を殺したわけだけど、実感とか感慨はあんまりない。殺したっていうか、死なせた、っつーか、そもそも肝心の生死が曖昧なままだからかな。 ちいさく息を吸って、吐く。今日向き合ったあのひとは、もうこういう当たり前のことをすることはないんだよなあ――――思ってみたけど、特に何も感じなかった。俺って冷たいのかな。まぁ会ったばっかりの人だったし。テレビの向こうの戦争を見るのと感覚はあんまり変わらない。違うところっていえば、そう、ずぶぬれでうっとうしく肌にはりつくシャツも、見た目より重い日本刀も、身体中の痛みも、吐きたいような血のにおいもぴりぴりする空気も沈んでく影もとても近いってことくらい。あとやっぱり興奮はしたかな、それくらいだ。だけど自分が奇跡か何かそれに近いことをやらかしたんだってのはなんとなく感じた。なあ、だってさ、掟とかさ、俺はちっともわかんねーもの。俺が…俺たちが戦ってるやつらはきっとずっとそれのために他の全部を犠牲にしてきたはずで、でも俺はこんな小さな指輪、たぶんひと月もしたらもうなくしてる。 奇跡は神さまの気まぐれだ。悪意も好意もなんにもないただの事象だ。俺は…起こしちゃいけない奇跡をすくいとっちまったのかなあ?でも、あのぴりぴりする空気の名前が、殺気、ていうもんだって知ってたから。死にたくなんかなかったから。 ごめんなさい、ほんとは最初から知ってたよ。そりゃすぐ気づくさ、こんなの、あんな状況、あんな『異質な』人たち普通じゃないって。それにそう、今までだって全部…それでもとぼけてたのはその方が楽だから。理解したら当事者になっちまう。なのに俺のどっかでは戦いの緊迫や恐怖とか勝利の高揚とか達成感が確実に息をしてて、だけどあの人が生きてればいいとも思っていて、そしてこの現実を完全に信じきれてもいない。結局そのまま少し高い場所で他人事みたいに眺めてるんだ。ああ逃げている。逃げてるよ、確かに。だって覚悟って重いし苦しいんだぜ?そんなものとっくに済ませてんだろうあの人は忘れてるのかもしれないけど。 …気がつくと俺はひとりきり、灰色の街に突っ立って、からっぽの頭とぐちゃぐちゃの身体に細かな雨を浴びていた。 なんだろう、妙な感じだ。痛くはない(からだは痛えけど)。怖くもない。ただとても気持ちが悪い。 世界が致命的な脱皮を始めるような。それを黙って見てるしかないような。 雨が手とか顔にパタパタぶつかる。この国じゃこんな雨のひとつひとつにも名前がついてるんだってこと、あの人は知っていただろうか。これは何なんだろうな。涙雨、とかかな。正しい意味なんか知らない。知らないけど、なんとなく、言葉の響きで思い浮かんだ。 空が悲しむ雨。悲しんで泣く雨。悼む雨。守護者、だったっけ…雨っていうなら確かに俺よりあんたのが似合うと思うよ。自慢じゃないけど青空がいちばんぴったりなやつだって言われてんだ。親父とか、クラスメートとか…野球でさぁ、ホームラン打ってな、白い球が真っ青の空に吸いこまれてくのはすっげえきれいで…きもちよくて… 普通を失うなら勝利なんていらなかった。戦いなんかいらなかった。あんたの存在も死にも触りたくなかった。 生きててくれよ、なあ、スクアーロ。 もしも今日眠って、そして、明日目がさめてもあんたのいない世界が夢になってなかったら――――俺は現実を認めなきゃいけない。 人殺しである覚悟を、決めなくちゃいけない。 20080420 |