8年ぶりの世界は銀色だった。氷河期でも始まったのかと思った。
 もちろんそんなことがあるはずはなく、解凍されてからベッドに運ばれたザンザスの身体に突っ伏して寝ていた馬鹿の馬鹿長い髪の一本が目の上、ちょうど焦点の合う位置にかかっていたらしい。と、とりあえず身体を起こし、とうの馬鹿を殴り飛ばしてから見当をつけた。馬鹿は壁にぶち当たったあと跳ね起き、飛びかかってきたので改めて殴ったら床に沈んで動かなくなった。そこではじめてその馬鹿がスクアーロだと知った。短く跳ねていたはずの髪はそんな昔のこともう忘れたとでもいうようにまっすぐに、上等の絹糸みたいに床を流れている。失った時間をつきつけられた心地がして気が遠くなった。だが持ち主の方は忘れてなんかいなかった。だから髪は伸びたのだ。目をさましたスクアーロは夢じゃなかったと言って泣くように笑った。やっとあんたを溶かせたけどすげえ不安で、夢じゃねぇかって、また凍っちまうんじゃねーかって、怖くて離れられなかったんだぁ。それから切れて血のにじむ口もとを拳でぬぐい、おかえりザンザス、ささやいた。生来声の大きいスクアーロにしては珍しくひどく聞こえにくいことばだった。祈るような、声だった。



 閉じこめられていたゆりかごを叩き壊してヴァリアーが蠢動しはじめた。当面のザンザスの仕事は組織の不具合を調べることだった。ヴァリアーは沈黙の期間を考えればかなりよい状態に管理されていたがどうにもならないサビはあるものだ。ザンザスはそれらを見てまわり、さびを落とし、油を差した。いや違う、見てまわらせ、さびを落とさせ、油を差させた。ザンザスは統治者だ。スクアーロがザンザスを名で呼んだのは後にも先にも再会のときの一度きりだった。以降はいつもボスと呼ぶ。どこか厳粛ささえ感じさせるように、かみしめるように。
 ザンザスの前にはおびただしい書類が集まり、サインを受けては散っていった。重要だが単調な仕事だ。ただ数だけはあった。数をこなすうちにザンザスが気づいたのは傷の存在だ。傲慢な鮫は傷を抱いている。スクアーロは8年間、髪を伸ばしながら、傷を育てている。



 成分は後悔。名は自責。
 スクアーロの傷をザンザスはそう判断した。けれど構成がわからない。スクアーロはそのあたりの口出しを控えているらしかったからなおさらだ。あいかわらずよけいなことを言う、態度も不遜、声はでかい。だがザンザスの決定に逆らうことはなかった。組織の歯車たれ、ザンザスの剣であれと、スクアーロは己を律していた。
 そんなスクアーロの意志に触れるたびザンザスは不快さを感じた。何がだ。何が不満だ――――ヴァリアーの主席はつぶやく。理想的な部下の在りようではないか。問いかけにザンザスは、ただのザンザスの精神は答えられなかった。また背ぇ伸びたんだなぁと新しい少し大きい靴を差し出すスクアーロに、沈黙で応えるしかできなかった。



 傷が治ればと思わないでもなかった。傷が治ればスクアーロを縛る見えない鎖は消滅するのでは、と。だがそれは不可能だった。
 身体の傷は薬が癒やす。
 精神の傷は時間が癒やす。
 けれどスクアーロのそれが癒えることは決してないのだ。ぱっくり開いた傷口からあふれる血はスクアーロの心臓を動かし、ずくりずくりと脈打つ痛みは鼓動となってスクアーロを動かす。実際スクアーロはその傷に生かされていた。その傷は、あるいは、そうだ。スクアーロの心臓そのものなのだ。



「…何くだらねぇことを延々とやってやがる、カス」
「あぁ、…ボス。もう出かけっかぁ」

 スクアーロに声だけ投げて、ザンザスは身をひるがえす。スクアーロは氷から出てから急激に成長するせいですぐに使えなくなるザンザスの、オーダーメイドの靴をよく並べているようだった。そこに何の意味があるのか、ザンザスは知らない。何もないのかもしれない。考えることはもうやめた。ただこの靴音を絶やさぬようにと、今思うのはそれだけだ。足を止めることなど誰も望まない。少なくとも、そう、この馬鹿は望んでいない。
 スクアーロの傷を案じる気まぐれも捨てた。何よりスクアーロ自身がそんなこと望んじゃいないのだ。ザンザスが求めるべきは怒りを燃やし皆を導くこと。道をひらくことなのだから。
 ザンザスが踏みつぶした気まぐれ、それの名を、恋情、という。













20080212
ボスがさめにもっていたのは恋とか愛とか直接なものじゃなくてもうすこし思いやりとかいたわりとかでもそんなやわらかいだけの気持ちでもなくて!と 思うのですがボキャブラリーの貧弱さゆえ、恋になりました…
スクはボスが後悔してると思って後悔してる→ボスはそんなスクが考えてることがわからない
救いはあるけどしょせん悪循環