ザンザスは10年のあいだに3度、死にかけたことがある。窮地、ではない。瀕死でもない。文字通り死にかけたことが。
 その回数が多いのか少ないか彼は知らない。ただ彼は生死の境でひとつのイメージを視る。それは超直感という彼のもつ力がもたらすものか、あるいは走馬灯の未来版(そんなものがあるとすればだが) かは定かでないが、その中でザンザスは死後の世界にいる。1度目は黄泉の川岸、2度目は冥界の門前、3度目は地獄の底だった。どこも暗くてじっとりとして、それでいて荒れ果てたような雰囲気で、ずいぶんしけた場所だと特に感慨もなく思ったものだ。なにせ普通に生きているあいだでも似たような場所が彼の…彼らの領分だったから。実際、ひと月も太陽を拝まないことだってざらにあり、それがずっと続くだけだと思えば束縛のない分こちらの方がマシだという気がしないでもなかった。
 問題は別の部分にある。それを知ったとき、ザンザスは未知の感覚でもってその衝撃を受けとめた。
 ザンザスは3度、限りなく死に近づいた。地獄をみた。その3度のうち3度とも、イメージという制約のなかでさえ、スクアーロが隣にいたのである。



 なんとか現世に舞い戻って目を開けてから、ザンザスは愕然とした。それまでザンザスは明確な感情を怒りしか認識していなかった。そのほかはみな怒りから派生していて全部うっすらと怒りの赤色がにじんであった。けれどその新しい感情は、限りなく黒に近い赤色で、赤が浮き出しているのではなく最初から含まれてあり、なおかつ怒りとは完全に違う色だったのだ。名づけるとすれば恐怖だが、それはもっと恐ろしい何かを隠しているようだった。すべて見えないのでなおさら恐ろしかった。



 それからどうなったかというと、特に、どうにもなってはいない。
 スクアーロはあいかわらずいつでもザンザスの隣か下かななめ後ろにいたし、ザンザスはあいかわらずいつでもスクアーロを致命傷と見まごうほどに殴って蹴った。何も変わっていない。つまり、変わっていなさすぎるというのが変化である。
 傷の治りが少しずつ遅くなっていることを知っている。義手のつなぎめが季節の変わり目に感じる痛みが、だんだん長びいていることも。知っていて、かつ加減はしなかった。つまり、それがザンザスの愛情である。

(この馬鹿は俺に従って死ぬ。俺についてきたら間違いなしに行き先は地獄だ。だけどもしこの馬鹿がどこぞで…癒せぬ疲労か隠せぬ不調か何かで…勝手に死ねば、もしかしたら何かの間違いあるいは奇跡のようなもので天国に転がりこむこともあるかもしれない)

 もちろんザンザスがその通りに考えたわけではない。ただこういった趣旨の思いが行動の根底にわずかあったというだけだ。それでもそれは、ザンザスという人間にしてみれば、充分すぎるほどの愛情表現だった!





 今日もザンザスは天国を足蹴に、地獄へ向かうように、歩いている。













20071004