いつからかはわからないが、ザンザスとスクアーロの周りには高い壁ができていた。 空より高く、堅固で、荘厳な、うつくしい壁。何者をも拒みはしない、ただそこにあるというその事実だけで、誰もにすべてを諦めさせてしまうような巨大な壁が。 気づいたときには壁はもう二人を覆ってしまっていたのだ。壁どころか絹糸より細いもろい縁でいかにも危なげにつながっていた頃と何が変わったわけでもないのだけれど、少しずつ砕ける時間の砂は星霜となって確実に積もって、そして二人を閉じこめた。それから何が変わったというわけではない。ただザンザスが理不尽に拳をふるうことがなくなった。今ではスクアーロが殴られるのは、ザンザスの機嫌が悪かったか、スクアーロがヘマをしたか、スクアーロが調子に乗ったか、ザンサスの機嫌が悪かったか、大体はそのどれかが理由だ(容赦がないのは今も昔も変わらないけれど)。昔は存在がうるさいからなんて理由で殴られていたことを考えればたいした変化である。異端の炎と銀の鮫は壁の向こうで化学反応でも起こしたらしい。 もちろんこの壁は何も拒みはしないかわり、何かを受け入れることもまたない。だから俺はいつでも壁の外側に突っ立って、はるかな高みまで分かつそれをただただ眺めている。それでも俺は多少なりとも受け入れられている方で、大概、誰も壁の存在には気づかない。近づきはしても気づけないままに引き返す。あるいはよけて通る。壁に気づいているのはごく近しい人間だけだし、壁が見えているのは俺だけなんだ。 疎外感がないといえば嘘になる。 高いたかい壁の向こうで二人だけの時間に生きる古い友人へ、寂しさを覚えることもある。 それでも俺には壁を壊そうだなんて気はさらさらない。ひとつはようやっと安息の地を手に入れた彼らへの友情のため、ひとつはささやかな優越感のため。なぜなら確かな立体感をもってそびえる壁を、知っているのはほんとうに俺ひとりで、実際とうのふたりだってちっとも気づいちゃいないのだ。笑える話ではある。 今日も俺はうつくしい壁にあいさつして、俺にゆるされた領域にいすわらせてもらっている。 20070901 イメージとしてはクィディッチ会場の |