「…おい」 「んあ?」 低く響かせた声に、返る返事は太平楽。 仰向けに寝転がって縁側の木目に髪を散らし、こちらを見上げる元親のなんとも形容しがたい姿にこめかみを押さえてから、元就は、ふ、とうるわしい笑みを浮かべた。 「死ね」 「いきなり!?」 わけわかんねぇけどおまえの場合そういうセリフがえらい似合って怖いな!叫んで身を起こし、ざかざかとあとずさる様子をつめたく見やる。唐突にやってきて、勝手に居座って、そうして3日ほど前から帰る帰ると言いながらいまだに腰を上げないこの男。 「とっとと帰れと言おうとしたが間違えた」 「何をどう間違うとそうなるんだよ」 「聞きたいか」 「いや結構です」 ぱん!と両の手のひらで耳をふさいで再びごろりと転がる元親にいらいらと腕を組んだ。そんなことはどうでもいい、ようするに我は帰れと言ったのだ。この際だから10秒以内に海へ帰るか土へ還るか好きな方を選べ。土へ還るなら手伝ってやろう。あくまで聞こえないふりして明後日を向く背中を蹴りながら言いつのる。 「いって、…っても天気が悪ィよ天気、ちょ、イテ、やめてやめて」 「貴様の目は虫食いか?この見事な日輪が見えんのか?どうせ役に立たぬならそのお飾りの右目もえぐってみるか?」 「ち、違、痛っ、せめて言い訳させてください!」 痛い折れる背骨が折れるとひとしきりぎゃあぎゃあ騒いでから、元親はふいにすうと目をすがめた。天気がどうだと言うのはでまかせでなかったらしい、元親はこうして空を見て風を視て海を知る。元就は正直、そのしぐさが気に入らなかった。なぜって、いつだってふざけた調子の元親が海に対しては真剣なことをはっきりと見せつけられるからだ(自分では気づいていなかったけれど)。 「…あぁ、ようやく風が出てきたな」 これで海も目ェさますだろ、言う元親の表情はひどく穏やかで、元就はやっぱり気に入らない。 「長いこと凪だったから帰るに帰れなくてよ、悪かったな。凪は嵐より大波よりいけねえ。じわじわ効いてくる毒みたいなもんだな」 このぶんだと少し荒れそうだけどそれくらいはなんでもない、明日には船を出すさ。そのまま沈めばいいと言ってやれば冗談に聞こえねーと苦笑混じりの声。 ザ、と風が吹きつける。髪を乱すその感覚は確かに久しく、これが海を動かすのかと思えば不思議な気もした。海は一体何を思って凪ぎ、荒れるのか。空に風に従っているだけなのだろうか。 「…明日、帰ったら」 しばらく会わないな。わかりきったことに返事は返さない。近々大きな戦があるというのはとうに耳に入っていた。 「次に会うときは戦場で敵同士、なんて嫌な展開にならなきゃいいけどなあ」 何も知らせずにいきなり中国来て、お前にイヤミ言われて、それで、一緒に空を見たりとか。…そんなのが、またできるようになればいいな。 口に出しても詮のないことに、やはり返事は返さなかった。 元就が七つ酢漿草の紋の船を見送ってからいくつかの季節が巡った。 あれ以来鬼を乗せた船の訪れることはない。今生の別れにしてはあっけなかったか、ただ討たれたという話も聞かないからいずれまた顔を合わせることもあるのかもしれない。 元就はときおり、風のない日に浜へ出るようになった。そうしてしとやかにたゆとう毒の海を眺めて長い凪の終わりを待っている。海が眠りからさめる日を。いつか風をはらんだ船を、抱いてやってくる白波を。 瀬戸内の海はあいかわらず空を風をその身に映して毎日表情を変えている。もしかしたら従っているのでなく、従えているのだろうかと元就は思うようになった。そういえば空は海の色を写して青いのだった。 寄せては返し、返しては寄せる波に、元就は人の世の理を見る。いつか乱世の荒波が鎮まり、世を平らげる凪のあとで、待ち人を運ぶ波のやってくることを。 20070727 友人宅の開設2周年に |