誰もいない食堂の椅子にひとり、浅く腰かけてテーブルの傷を見つめていた。十字の傷、曲線の傷、えぐれたようなそれや何かのしみ。そんなものを一心に見つめて、実は何も見ていなかった。丸みを帯びた幾何学模様たちは網膜を素通りして中空をただよう。 唐突に、こちこちと時を刻む時計の振り子を遮って、ギィ、とドアが鳴った。 「…なんだ、誰かと思ったらモヤシか。まだ起きて、…っ」 どことなくよれた印象の隊服をまとって現れたのは神田だった。疲れをにじませて、それでも皮肉げにつり上げかけた口もとをすぐに引き締める。理由といえば姿を認めるや否や一言も発さずに走り寄り飛びついてきたアレンだった。勢い余って背中が壁にぶつかったのも気にせずにぎゅっとしがみついてくる。 ほんとの神田だ。顔を押しつけたせいでくぐもってきこえた声の調子に自分からも腕をまわして、どうした、何かあったのかと低く問うた。弱々しく頭を振ってさらに強くしがみつく身体に、ずるずるとすべり落ちて床にしりもちをついた。木の床は乾いて、少しあたたかい。 ボン、と振り子がゆるく響く。 あしたから、新しい任務なんです。ぽつりとつぶやく。そんなにひどい内容なのかと思えば、それは別にいいんですと重ねて言う。じゃあ何なんだ。苛立ちよりも不安が声に混じるのが自分でわかる。 ジンクスなんです、僕のジンクス。わずか薄い笑みを含んだ言葉。3ヵ月だったんです。意味はわからなかったけれど並べられる文章の断片を黙って聞いた。急かしてはいけない。向こうからつながるのを待たないと。 「いつそんなことを思いはじめたのかは覚えていません。でも見つけてしまったんだ。10日のときは片足の爪を全部はがしました。20日は、腕を折った。1ヵ月では頭を12針縫った。2ヵ月は出血多量で死にかけました」 夢みるみたいにつぶやき、にこり、笑って見上げる。 「神田に会わないで出かけた任務です」 何を。馬鹿な。 言いかけてのみこんだ。10日、20日、1ヵ月、2ヵ月。実際に関連しているかはともかく段々ひどくなっていく怪我。3ヵ月、だと言った。今回会わなかったのが確かにそのくらいで、今日帰ってこれたのは幸運だったのだ。もしも今日帰れずに、会わないまますれ違っていたら。2ヵ月で死ぬところだったと言った。なら3ヵ月は。どうなっていたんだ。 「ずっと、考えていた」 そっと胸に手を当てる。3月ぶりに感じる鼓動。ゆっくりとけあい、混ざっていく。 「ただのジンクスです。だけど僕にとってはまぎれもない事実だ。今日が最後だった、もし会えなかったら。…ずっと、考えていた」 「…くだらない」 「ええ。くだらない。でもそんなくだらないものを積んで僕らは生きてる」 「違う、違う!そうじゃない」 もどかしげに首を振る。言葉が見つからないかわりにきつく抱きしめた。長い黒髪が銀のそれを覆って、銀河みたいにきらりと光る。 少々会わないのと怪我するのに関係なんざあるか馬鹿。でもうさぎは寂しいと死にますよ?…論点がずれてる上におまえはウサギなんて無害な生き物じゃねぇ!!ひどいなあもう、神田ほど有害じゃありませんよ。 冗談のような会話を投げあって、それでもぎりぎり間に合ったことに少し安堵している自分に、神田は眉間のしわを深くした。 ミイラよりも厚く全身包帯まみれで担架に乗って帰ってきたアレンが、やっぱり当たりますよ僕のジンクス。となぜか得意げに言って、六幻の柄で殴られるのはその5日後のことになる。 20070601 前サイトで後輩との相互記念に |