弟が死んで、母は狂った。
俺は母を見ていた。母は狂人だった。
暴れ、叫び、手当たり次第すべてを呪う期間が過ぎると、母の症状は治まった。…俺と弟に関することを除いて。母は弟を愛していた。母は俺を嫌っていた。弟は死んだ。俺は生きている。現実は母の精神のどこかやわらかいところを切り裂いたらしい。
このことについて、俺は早いうちにあきらめをつけた。親は子を選べないし、子は親を選べない。親子であったということが俺たちにとって不幸だったのだ。違う間柄ならばもっと別の関係を築けたかもしれないが、そんな話はもちろん仮定でしかない。
かくなる上は互いにできる限り関わらず生きていく他あるまい。俺はそう納得した。したつもりだったが、完全ではなかったようである。
俺と弟に関して、母は狂っていた。
症状が治まり、見舞いに訪れた俺を、母は弟の名で呼んだ。弟の名で呼び、微笑んだ。心配をかけてしまいましたね。ご免なさい。母はもう大丈夫ですよ。
割り切ったと思っていた。だが十にもならない子どもに母の笑顔は甘露とも等しかった。周囲の人間はみな母をいさめた。俺は立ちつくしていた。母は微笑んでいた。違う、とは、言えなかった。
俺は歪みを受け入れた。ゆがんでいることはわかっていた、炎に飛び込む羽虫のようなものだ。今思えばあれは母の復讐だったのかもしれない。母にとって、俺はずいぶんと前から生きた穢れだった。弟が死んだ後はなおさらだが、母はもしかしたらまったく正気で、あれは俺の傷口を広げる演技だったのかもしれない。…であるとしても、俺は母の手を取っただろうと思う。男が最初に恋をする相手は母親だという。俺は母に恋していた。俺は母を愛していた。

母は俺を憎んでいた。






歪みというのは渦中は存外穏やかなものだ。潜ってしまえばそこはごく過ごしやすい箱庭だった。俺は母を訪ねる。母は俺を迎える。土産の菓子、手遊びの折り鶴、季節の花。ままごとのような世界だった。ただひとつ、母は弟の名で俺を呼ぶ。
当時、母の庭には池があった。赤い魚が泳いでいた。夏には芙蓉、冬には椿と見まごうきれいな魚たちの中に、一匹だけ黒いそれがいた。母はその一匹をあまり好きではないと言ったが、「殺してしまうのは哀れであるし、移す場所もないので、そのままにしている」ということらしかった。黒いさかなはいつも悠々と身体をくねらせていた。人の一存で決まる身の上、しかしその主に認められたならば、あとは当人、外見を気にする性もあるまい。
俺はそいつが嫌いだった。一面の赤の、一点の黒。しみのような黒。それがいつからいて、またいつ死んだかはあやふやだ。ただ影のような尾びれをヒラとゆらして赤を裂く黒は奇妙に強いイメージとして脳裏にある。
一度だけ、自分の名を告げたことがあった。母の調子が特によいときだった。俺は子どもだった。母は微笑んでいた。

「誰…?」

母は微笑んでいた。魚たちは奇妙に静かに池の底で集まりじっとしていた。鯉にしては小さく金魚にしては大きいそのさかなが何だったのか、確かめる術は今はもうない。






狂ったままで母は死んだ。往生だった。看取ることはできた。
「ご免なさいね」
母は言った。「元気になれなくてご免なさい。今までありがとう、母はとても幸せでした。ああ、あなたと別れるのは本当につらい。愛していました。愛していました」
母は何度も言った。「愛していました」何度も何度も弟へ言った。
「愛していました…小次郎…」
臨終は悲しかったが、それだけといえばそれだけだった。母は病みついてすでに長かった。俺は子どもではなくなっている。泣くべきだろうか、いや無理には白々しいかとぼんやり考えていると、不意に母の長い黒髪が魚のようにゆらりと浮かんだ。茫然と呆ける間に部屋には大小の魚があふれ、それが自分の涙の産物だとようやく気づいたときには笑ってしまった。母の死に泣けた事実は母の死そのものよりも感慨があった。
「…母上」
定時の回診まではまだ時間があった。母の人払いで二人きりの病室、畳の仄暗い青さ、白い布団、魚の群れ、美しい母。
障子はほとんど開け放してあった。表は光に満ちみちている。あの黒いさかなは一体どこへ行ったのだろう。





「俺は――――――――政宗です」







葬式の日はよく晴れていた。ごわごわする喪服で空を仰ぐと白い細い煙が上ってゆくのが見える。きっと骨もあんな白だろう。
不意に、右の眼窩がざわめいた。ぱしりと押さえると影がよぎった。
…魚だ。黒いさかな。こんなところに棲んでいたのか…
魚は一瞬視界の先の煙にからみつき、またすぐに右目の底へと潜っていった。













20080608

遅れたけれど筆頭の命日に